Marubeni’s History

丸紅を変えた3つのターニングポイント

丸紅の歴史は、挑戦の歴史。
創業からこれまで、昭和金融恐慌、戦争、バブル崩壊…。
私たちはいくつもの窮地に立たされてきた。窮地に陥ったときこそ果敢に攻める。
それが丸紅の流儀。No Challenge, No Chance.
私たちの歴史は挑戦の歴史。

昭和金融恐慌をねじ伏せた勇気

どうすればいい。私たちは焦っていた。
時は1927年。日本は昭和金融恐慌の真っ暗闇に落とされていた。

そもそも国内の景気が転がり出したきっかけは第一次世界大戦後に起きた戦時バブルの崩壊だった。そこに1920年、米国の農産物価格の大暴落が起き、これを引き金に東京の株式や米、生糸の市場は大暴落することとなる。丸紅の前身「伊藤忠商店」、「伊藤忠商事」もパニックの波に呑まれた。多大な損失を抱え、その合計額は合名会社の総資産を上回った。しかし、諦めるわけにはいかない。今、事業を投げ出せばお客様に迷惑がかかる。すぐさま有価証券、不動産を処分。事業を整理し、「伊藤忠商店」と「伊藤忠商事」の貿易部門を「丸紅商店」と「大同貿易」に分社。窮地を乗り越えたかに思えた。しかし、甘くはない。1923年には関東大震災が起き、さらに追い打ちをかけるように1927年、昭和金融恐慌が起きてしまったのだ。

苛酷な経済環境。ここで「丸紅商店」を救ったのが専務の古川鉄治郎の勇気だった。彼はまさかの積極策に打って出た。1928年、京都支店御召製造工場を直営化。同1928年、毛織部の独立新店舗を開設。国内基盤を整え、設備投資を行った。また、東海道地方の有力な機屋とともに、欧州の背広や婦人服の研究を行うなど、毛織物生産の進展に寄与。これが功を奏す。中京地区は毛織物生産国紀州と言われるほどの一大生産地に成長。海外輸出も本格化し、数年前の巨額損失が嘘かのような売上高を記録。1933年には、全社の年商は1億円を超えた。

逃げるな。ひるむな。立ち向かえ。挑戦からしか未来は生まれない。
その精神は現在に受け継がれている。

戦争を乗り越えた開拓心

1945年第二次世界大戦、終戦。焼け野原となった日本で丸紅は再スタートを切ることとなった。その損害は計り知れない。海外総資産の全てを喪失。社員の多くも戦死し、人的被害は甚大だった。

時計の針を少し巻き戻そう。太平洋戦争が勃発した1941年。丸紅商店と伊藤忠商事、岸本商店が合併して「三興」が発足した。さらに1944年に三興は大同貿易、呉羽紡績と合併し「大建産業」と名前を変えた。

大建産業は16業種、関係会社103社におよぶ大企業集団。しかし、その規模の大きさが仇となり、終戦に伴いGHQの指示のもと行われた財閥解体の対象となってしまう。1949年12月1日、大建産業は丸紅、伊藤忠商事、呉羽紡績、尼崎製釘所の4社に分割されることとなった。

戦後4年。困窮の極み。産業は疲弊し、日本は物不足とインフレに悩まされていた。しかし、そこには希望も。丸紅が発足した1949年12月1日、それまでGHQの管理下にあった輸出が民間企業に委ねられ、翌年1月には輸入も自由に行えるようになったのだ。この状況下で丸紅が目指したのは会社の総合化だった。民間貿易移行後、海外活動をいち早く再開。1951年に最初の海外事務所をつくると1954年末までに22ヵ所の現地法人、派遣事務所を開設。海外取引を増やすとともに、取扱品の8割を超えていた繊維の比率を下げ、非繊維分野の拡充に取り組んだ。

厳しい状況下のもとでこそ、開拓を。この精神が、総合商社・丸紅の飛躍の土台をつくったのだ。

未曾有の危機を乗り越えた
勇気と決断

全てが泡と消えた。バブル経済の崩壊。高騰した株価や地価は急落。資産価値の下落は金融機関や企業に不良債権の累積を招き、日本経済は失われた10年に突入した。丸紅も有価証券評価損などが膨らみ1997年度には単体で308億円の純損失を計上。1951年度以来の赤字決算だ。そこから始まったのが大幅な組織改革、人事制度改革、事業会社のリストラなどを敢行した「リストラクチャリング・プラン」だ。2001年、この計画を完遂させたことで次こそ収益の拡大など「攻めの転換」を図るはずだった。

しかし、ここから丸紅はさらなる時代の波に呑まれる。国内で続く株価の低迷。海外ではITバブル崩壊後の不況だけでなく、米国同時多発テロまでも起こり世界経済はさらに停滞。2001年11月、丸紅は「@ction21“A”PLAN」を発表。これは連結ベースで2,080億円の特別損失を一括計上するとともに2002年度の連結純利益目標を300億円とする業績のV字回復を骨子としていた。丸紅史上、最もハードルの高いチャレンジ。経営環境の激変に即応・挑戦する企業体質を構築するための決断だった。この結果2001年度の連結純利益は1,164億円の大幅赤字となり丸紅史上2番目の損失となった。このことで株式市場でも厳しい評価を下される。2001年12月19日には株価は58円という1958年以来の最安値を記録した。生き残れるか否かの正念場を丸紅は迎えていた。

このギリギリの状況でこれまで打ってきた業績回復の布石が輝き出す。意思決定のスピードアップ、リスクマネジメントの徹底が進み、経営資源の重点配分の明確化、戦略的投資が進められた。その結果、2002年度には303億円の連結純利益を計上。さらに2003年から5期連続で史上最高益を更新し続け、V字回復を果たした。

厳しい時代に決断した「負の遺産を一掃する」判断がその後の成長の礎となった。丸紅にとって全ての試練は飛躍のためのターニングポイント。試練のときこそチャレンジを。その挑戦が私たちの力となっている。

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