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梅崎 仁

JIN UMEZAKI

食料第一・第二本部
畜産部
法学部 | 1998年卒

40代
男性
食料・アグリグループ
総合職

徹底した現場へのこだわりが、
人を変え、現場を変える。

豪州への駐在で
畜産ビジネスのイロハを学ぶ

豪州東部の広大な平原に肥育されている約4万5000頭の肉牛。Rangers Valley社は、丸紅が1988年に子会社化して以来、血統、飼料にこだわり、最高品質の穀物肥育牛肉を生産してきた。同時に、梅崎仁の最初の転機となった場所でもある。
「当時入社5年目だった私は、営業職に就いてまだ2年目。そのタイミングでの事業会社駐在に、若手にチャレンジする機会を提供する丸紅の風土を実感したものです。Rangers Valley社への駐在は1年間でしたが、食肉工場や牧場経営の現場経験のみならず子会社の経営にも携わり、畜産ビジネスのイロハを幅広く経験することができました」
しかし帰国後、Rangers Valley社は経営状況の悪化という危機に直面する。梅崎はその立て直しに乗り出した。
「当時、生産した牛肉の供給先は約90%が日本でした。最優先事項である収益力の改善を図るために採った戦略は、EUをはじめとした世界市場にRangers Valley社の製品の販路を拡大するというもの。当初販売はなかなか伸びませんでしたが、試行錯誤の末、本来の品質の高さも市場に評価され、収益力は徐々に改善、現在では20ケ国以上に輸出されるようになりました」
その後梅崎は米国オマハに駐在となったが、それから間もなくして、今度はシカゴの牛肉生産工場の再建を目的とした赴任が言い渡される。それは、梅崎の約20年にわたる社会人人生の中でも、印象深く残る強烈な経験となった。

突然工場の経営者に
前例のない挑戦に向き合う

シカゴの牛肉生産工場は丸紅の出資先が投資した会社だった。丸紅がその経営のサポートを行うにあたって、責任者として梅崎に白羽の矢が立ったのだ。しかし、トレードが収益の源泉であった丸紅の畜産ビジネスの長い歴史の中では、社員が自ら海外で牛肉生産工場を経営するのは前例の無いことだった。
「まず驚いたのが、年間の予算管理という発想が無かったこと。牛肉の価格は相場により変動するから予算を策定する意味が無いというのがその理由でしたが、会社経営においてはありえません。これは大変だ……と思いましたね(笑)。予算策定に続いて着手したのが、生産の現場に足を運ぶこと。経営立て直しのためには、現場のスタッフと目標を共有し、その達成に向けて、業務効率を改善し生産性を向上させる必要があります。予算や経営目標を社員一人ひとりに浸透させるため、定期的なミーティングを開いてコミュニケーションを重ねました。生産現場の問題点と、具体的な改善目標を皆で共有することで、現場を抜本的に変える取り組みを進めたのです」
梅崎の取り組みは現場の意識改革にもつながった。梅崎のやり方に対して反発する者がいてもおかしくなかったが、彼らが梅崎についてきたのはなぜか。
「私は難しい専門用語を一切使わず、現場で起こっていることだけに着目して改善を進めました。それは、現場で働く人たちに寄り添うことでもあったと思います。そのために重要だったのが、従業員との信頼関係です。仕事以外の場面でも、たとえばクリスマスや感謝祭などでさまざまな企画をして交流し、相互理解を深めていきました」
徹底して現場にこだわる姿勢は、その後も梅崎の基本スタンスとなっている。現在も担当する中国の生産現場に足しげく通い、自分の目で現場を直接見て、スタッフと直接話し、運営の効率化を推進している。全体を俯瞰しながら現場に深く入り込んで仕事をする。商社で働く醍醐味はここにあると梅崎は考えている。